おひっこし
引越すことになった。
それも来月に、いや、すでに今月だ。急である。
2歳のとき今のマンションに越してきて以来、私は引越しというのをしたことがない。
去年知人の引越しを少し手伝ったが、思えばあれが私にとってはじめての主体的な引越し経験だった。とはいえ、申し訳程度の助力である。あまり参考にはならない。
煩わしい手続き等は家人任せではあるのだが、それにしても自分は一体いつ何を始め、それをどの状態までもっていけばいいのか。全く見通しがきかない。
まあしかし、なるようになるんだろう。
そんな気持ちで、今はとりあえず新居の間取り図に家具を書き込んではニコニコする日々を送っている。
引越し。転居。居住環境の変化。
私にとって、これはなかなかに由々しき事態なのである。
そんなもの誰にとっても多かれ少なかれそうに決まっていると言われるかも知れない。
たしかにその通りだと思う。
だがおそらくそういった一般的な意味合い以上の意義を、私はこの引越しに感じている。というより、期待している。
今の家ですごしてきた約20年間、私にとって家庭というのは全く居心地のいいものではなかった。
今の家の随所に、音に、匂いに、空間に、思い出したくもない記憶がべったりとはりついている。
たとえ現在に嫌なことが何ひとつ具体的に存在していないとしても、家という場に身を置く限り、そこに含まれる何か要素に触れることで次々嫌な記憶がよみがえる可能性から逃れることができないのだ。
そしてもちろんそれは可能性にとどまらず、よみがる記憶に実際私は幾度となく苦しめられてきた。
解決方法がわからなかった。
(家を出ればいいという考えはあったが、あまりに労力を要するので実行には至れないままもっと手短な方法を求め続けていた。)
そこへ転がり込んできた今回の引越し案件である。
住居が変わる。場所も、景色も、きっと家具もいくつか新調されるだろう。
私は過去を、旧居に置き去りにしていいのだ。
全ての関連付けはリセットされていいのだ。
今ある、今までずっとあった精神的な諸問題もこれを機に好転していくのではないだろうか、そうであってほしい、きっとそうだ、そんな予感がする、
そういう由々しさを、私はいま期待している。
(そう、しかし、期待とは常に由々しきものである。)